「教育改革の手引き」特別インタビュー

基礎学力財団理事長、隂山ラボ代表 隂山英男 先生

目前に迫った2020年度は、「小学校新学習指導要領及び教科書の改訂」と「大学入学共通テスト」の実施が予定されております。そのような変革期をひかえ、学校、家庭での学習にどのような影響が生じるのか?不安に思われる保護者の方が多くいらっしゃると思われます。

そこで、学習参考書協会は、学校、塾、家庭学習に関する深い知見をお持ちの基礎力財団理事長、隂山ラボ代表の隂山英男先生に、変革期における家庭での学習について焦点をあてお話をうかがいました。

プロフィール

隂山英男(かげやま・ひでお)

基礎力財団理事長、隂山ラボ代表

1958年兵庫県生まれ。岡山大学法学部卒業後、兵庫県で小学校教師となり、朝来町立山口小学校での学力向上の実践は奇跡と呼ばれNHKで報道される など注目された。

その後日本初の公募校長、中教審や教育再生会議の委員、大阪府教育委員長を歴任し、立命館大学の教授を経た現在も、全国の学校、塾、家庭への学習に大きな影響を与えている。

2020年度以降も大切なのは「基礎・基本」です。

――2020年から学習指導要領は、「予測できない変化に主体的に向き合って、自分の力で人生を切り拓いていけること」を重視しています。これを受け、学校現場では、生涯にわたって能動的に学び続けることができるような「主体的・対話的で深い学び」(アクティブラーニング)の方法で授業が行われると思われますが、具体的には今の授業とどのような変化があると思われますか。

今、アクティブラーニングが取り沙汰されていますが、そもそも背景に誤解されている部分があるように思います。2003年のPISAショック(OECD経済協力開発機構の、15歳児を対象に行っている国際学力調査「PISA調査」において、2003年の結果が2000年調査の結果より落ちたこと)を契機とするいわゆる学力低下問題があって、国際学力調査にみられるところの日本の子供たちの学力の低下が顕在化したとされていました。ところが、それ以降学力向上の傾向が続き、2012年のPISA調査においてはトップランクに回復しています。この間、大人の学力調査「PIAAC(国際成人力調査)」もOECDの中で実施されており、ここでもICTを除いてはトップという結果を残しています。つまり、そもそも教育界が慌てるような状況ではなかったといえるのです。

――ではなぜ、このようなある意味、騒動のようなものが起きているのでしょうか。

私はこの騒動の原因は大学にあると思っています。 日本の教育行政の中で、唯一評価を落としているのは、実は小中学校ではなく、東大・京大をはじめとするトップ大学であるという事実があるのです。2000年頃の東大のランキング(イギリスの高等教育専門誌『THE(Times Higher Education)』による「THE世界大学ランキング」のこと)は確か15位でした。高くはないですが、それより上に位置していたのは、アメリカの大学やイギリスのオックスフォードやケンブリッジなど英語圏の大学に占められていました。つまり英語圏でない大学では1位だったのです。現代、学問の世界はビジネスも含めて、英語の世界になっているという事実を踏まえると、この結果はこの段階ではそう大きな問題ではありませんでした。ところが、その後日本の大学は凋落の一途をたどり、同じ調査で2019年は、東大42位 京大65位と落ち込み、文科省の取り組んできた様々な大学制度改革の対策は十分な結果になっていないということだと思います。

――それでは今後どのような対策が考えられますか。

このトレンドを食い止めるためには、大学、とりわけ大学院の研究という部分に手を付けなければなりません。でもそもそも日本の学生はテストに対応するための学力で形成されているため、何を研究したらよいのかがわからないというのです。東大の大学院生でさえ何を研究すべきかを教授に聞いてくるような有様で、教育再生会議でも大きな問題として取り上げられたのです。

そこで前述のように小中学校の学力は維持できていることが証明されたため、それを土台に文科省は高校と大学、その間の大学入試という三位一体の改革を志向したのです。ところが、アクティブラーニングといったフレーズが独り歩きした結果、本来の意図から外れ、小中学校の先生たちが過剰に反応してしまいました。小中学校の基礎学力あってこそ、高校のアクティブラーニングが成り立つという設計でしたが、結果的に小中学校の授業でアクティブラーニングがいわば独り歩きし、文科省は小中学校で「基礎学力」の低下を招きつつあるのではないかと恐れています。基礎学力の低下はPISA調査の低下に直結します。文科省の、小中学校における「基礎教育」の重要性に対する認識はいささかも揺らいではいません。基礎教育の重要性をないがしろにするようなアクティブラーニングへの過度な傾斜は、2003年以降の実績を毀損しかねないと考えているのです。小中の教育改革は、敢えて提言するのであれば、いわば「王道」の改革を志向すべきであると考えます。

そもそも「アクティブラーニング」って何?

――我々としても小中学校での「基礎教育」あってこその「主体的・対話的で深い学び」であると考えますが、学校現場で現に隂山先生の危惧するような状況が進行しているということはあり得ませんか?

現実的には既にそのような状況が進行しているため、教職員の異常な勤務実態にもつながり、問題が顕在化しているのではないでしょうか。そのような状況下であるからこそ、基礎となる「読み・書き・計算」の徹底になおさら留意すべきであると申し上げたいのです。教科書の内容が質的にも量的にも拡大して、教科書の内容全てを終えられていないのが現状のなか、発展的な問題に対してどのようなスタンスをとるべきであるかということではないでしょうか。

――「基礎」と「発展」が誤解されているということでしょうか。

いわゆる、「難しい問題を解く」ということと、「応用活用」、さらに「発展問題」というものが混同されているように思っています。わかりやすく言うと、「発展問題」を扱うことがアクティブラーニングなのではなく、総合的学習から端を発した「興味・関心・意欲」を引き出すものが根源であり、この辺りが学校の苦労しているところではないかと思います。指導現場では「基礎問題」と学力低下問題から重要視された「発展問題」、一方、大学教育から降りてきた自身の「興味・関心・意欲」に従って学んでいこうとするアクティブラーニングという出発点の異なる指導内容が混同され、もうそれだけで手一杯になった結果、「基礎教育」軽視につながる風潮が生まれていったのです。

ただここは致し方ない面もあります。あれだけ教科書に発展的内容が盛り込まれるようになると、基礎教育にかける時間は相対的に減少せざるを得ないという構造的な問題があるからです。また、難しい問題を扱うにはある程度の時間をかけざるを得ず、その準備として生徒を一定の水準まで引き上げるための工夫も必要です。しかしそれは時間的に困難です。

こうした矛盾した構造が、今の教職員の厳しい職場環境を引き起こしていると言えると思います。しかも来年度からは小学校新学習指導要領のプログラミング必修化や英語教科化が始まります。教育現場の負担に拍車がかかるのは間違いないことです。

――そのような状況下であるとすれば、家庭で留意して取り組むべきことはなんでしょうか。

やはり、小学校での基礎学習です。地域によって中学受験や高校受験が重視されますが、それらも最終的には大学受験のためのものです。そして大学入試はいかに改革されようと、指導要領にそって実施されるものです。とんでもなく難しい問題が出されることはないのです。そこを見落としてはいけないと思います。また、高い基礎学力は主体的な学習の根幹です。その点から考えると、いわゆる自学自習によって学力を伸ばすということが王道であり、コストパフォーマンスもよく、実は現実的でもあるのです。基礎・基本の重要性を肌で感じ、自学自習で事足りると考えているご家庭も少なくないのではないでしょうか。高度な教育がもてはやされる一方で、この約10年間の学校教育を取り巻くごたごたの中で、逆説的に基礎・基本の重要性と家庭でのサポートの必要を再認識されたご家庭も増えつつあると感じています。

――実験的な授業を目の当たりにして感銘を受ける一方、授業進度に疑問を覚える保護者も多いと聞きます。

よく学校でもてはやされる算数の「問題解決学習」。この授業では1時間に1問の問題を解かせることは普通です。しかし、これを授業参観で見た保護者は不安を感じます。塾では難問を短時間で解くように学習しています。家庭においても学校で学習するだけの内容なら参考書だけで、短期間で終わります。もう保護者の方がその点は分かっているからです。気がついていないのは、学校の方なのです。

この問題の解決のためには、学校現場で成果を上げた事例を積極的に取り入れ、フィードバックしていくシステムを構築することでしょう。また私が提案したいのは教科の再編成、例えば、理科と社会を統合して教養、音楽と図工と統合して芸術というように教科をまとめ、学習内容を集約していくことです。従来の枠組みのままだとあれもこれも大事となり、学習内容の精選も困難です。また一方では、小学校高学年の算数教育に「数学的な考え方」という表現が入ってきているように、既に縦方向のつながりは始まっています。ですから、このような横方向の統合も近い将来ありうるのではないでしょうか。効率的に指導効果を高めていく必要から、教科の集約は一つのアプローチのように感じています。

英語については様々な捉え方があり、早すぎる英語指導は日本語能力低下につながりかねない一面もあり、学術としての英語指導に関しては慎重に枠組から検討すべきでしょう。

――そのような状況下で、カギとなる教科は何であるとお考えですか。

「興味・関心・意欲」を主体的に高めていくために中心となりうる学習は「科学」であると思っています。ノーベル賞受賞者のコメントを突き詰めていくと幼いころに感じた自然への体験・感動がベースとなっています。理科は今後の科学技術を理解するという意味でも、主体的に学んでいくという新しい学習指導要領的な考え方からも重要性が増していくのではないでしょうか。その一方で、低学年の理科は生活科になっています。教養という統合的な教科の新しい枠組みの中で新しい展開をさせるべきではないでしょうか。またその中で、「プログラミング」を加えていくなど科目内での自在性を取り入れ、弾力的に単元を構成していくべきと思います。

教科書はいわば「学習パンフレット」、おすすめは「予習型学習」。

――今後の教科書の役割はどのようになっていくべきでしょうか。

教科書は今の学校教育に重大な影響を持っているのですが、約10年ごとの学習指導要領改訂では対応できない部分が出てきているのも事実です。ですから教科書通りというのではなく「こういうことができたらいいですよね。」くらいに思っていたほうがよいのではないでしょうか。教科書もいわば教材です。解き方や考え方をあらかじめ指導したうえで教科書を学ばせる、あるいは、逆に計算問題を数多く解き、できるようになってから考え方を指導するというように逆のアプローチの方がしみ込みやすいということもあるのです。

極端に言えば、教科書は「学習パンフレット」です。学習の方向性や内容のガイドラインを定めたものです。教科書をしっかりと理解しながら、指導自体は弾力的であっていいと思います。

――来年から新学習指導要領が実施されます。改めて効果的な学習方法はありますか。

以上のような観点から、家庭学習というアプローチで私がおすすめしたいのは「予習型学習」です。あらかじめ、学習する内容をザーッと進めてしまう。進めてしまうというと誤解されやすいですが、小学校での勉強とは本来あっという間に終わってしまうような内容でしかありません。授業のための学習になってしまうと学習は進みませんが、本来の意味で学習しなければならない核の部分は、ごくごく小さいのです。まして、基礎力を身につけたうえであれば、本当にあっという間に終わってしまいます。

先生がしゃべりすぎているのを止めれば、授業は高速化します。授業の進度が速くなれば、子供たちは必死になって食いついてきます。結果的に授業理解も上がるのです。身体能力と観察能力が優れた教師は授業の質が圧倒的に高い。逆に、説明や板書に時間をかけ、教科書に目を落としてばかりいる教師は最悪です。ゆっくりで丁寧な授業では子どもは伸びないのです。

「ゲームは敵」か。

――家庭学習の敵はゲームと動画共有サービスではないかと思っていますが、親はどのように見守れば良いのでしょうか?

以前、私はゲームが学習の妨げになると考えていましたが、今は考えを変えました。ゲームのやりすぎによる悪影響が学力の妨げになっているのであって、ゲームそのものが子供の学力を下げているわけではないのです。脳を激しく動かすことがすなわち賢くなることなので、ゲームもOK、読書もOK、当然勉強もOK、要は楽しく集中してできていれば、脳の活性化につながり、学力向上につながると考えています。誤解を恐れずに言えば、勉強のやりすぎも学力低下につながります。できるだけ、短時間で集中してやることが重要なのです。

――やはり主体的な姿勢が重要ということですね。

優秀であると思われている学生が、実は知的好奇心が摩耗しきった“テスト優秀児”に過ぎないという事例もあるようです。そのために大学入試に面接を加えた学部もあるくらいです。コミュニケーションが苦手で就職ができない、医師国家試験に通らないというトップ大学の学生が増えているという話も聞きます。結局アクティブラーニング導入の根源はこの辺りにあるのではないでしょうか。就職試験のように、お互いの情報のやり取りで合否を決めるような入試の形態に変わらなければ、実態も変わらないのではないでしょうか。その後の人生の責任をとるのは、ご本人たちであるという事実を直視しなければならないと思います。

ある大手ゲーム会社の開発の方が「ゲーム開発にゲームの知識はあまり必要ではなく、おもしろさ、楽しさを体全体に理解させることが重要で、それこそがゲームクリエイターの条件」とおっしゃっていました。ここでも、直接的な知識や経験があまり重要ではないということなのです。また読書のし過ぎが学力の低下につながるケースもあるくらいなのです。

重要なのは「未来をどう志向するか」ということ。

――保護者として子供たちと接する際の注意点は何でしょうか。

繰り返しになりますが、主体的な学びの根源には知的な好奇心があり、それを学校でやろうとしても限界があると思います。親子でいろいろなものに対する知的好奇心を刺激するような家庭教育がベースになるでしょう。そして、もう一つ重要なのは、「未来をどう志向するか」ということです。

先日、「肥前さが幕末維新博覧会」で辰野金吾をはじめとする唐津の若者が東京駅など、重要な建造物を建築していたという事実を知りました。彼らが唐津藩校に通っていた時代の教師があの高橋是清で、彼が金吾らに主に指導したのが英語でした。教え子だった辰野金吾らは海外と東京が視野に入っていたからこそ、重要な事業を手掛けられたのではないでしょうか。つまり、学力だけでなく、未来をどう志向するのかが重要なのだと改めて思っています。もし彼らが佐賀にとどまっていたら、また海外から帰還した高橋是清に出会ってなかったら東京駅はあのような形ではなかったでしょう。

社会の未来と子供さんたちの未来を結び付けられるような指導を、各家庭で実施していただくことが望ましいのではないでしょうか。学校や塾など特定のもののために消耗させられることは健全ではなく、そういう意味で、家庭が一つの基軸となって学習させるということは、そのような哲学を明確にしていく意味で重要です。野球に例えれば、親は監督であり、学校や塾はコーチです。コーチのアドバイスを聞きながら、監督として選手(子供)にどのようなプレーをすべきか指示してあげる必要があるのです。日本の初等中等の教育力は欧米に勝るとも劣っていないわけですから、そこは安心してよいのではないでしょうか。

自学自習の可能性。

――書店では「学校では教えてくれない大切なこと」というシリーズが売れています。 家庭と学校の健全な関係性をどうお考えでしょうか。

これまでの日本の教育の歴史を紐解いていくと、土台となっていたのは「藩校」や「寺子屋」です。外国からの脅威に接しながら、またその文化を吸収しながら世界の中で存在感を示すまでになっていくのは、自学自習を基とした「教育」、もっといえば「基礎学力」あってこそでした。そして、学力の根源は知的好奇心によってのみ、育まれるのではないでしょうか。日本の社会や文科省が求めているのは、実はこの部分であると考えています。「応用・活用力の授業」は形にとらわれるべきではなく、本当の意味で生徒が「学びたい」「知りたい」ことを重視していかなければいけないのです。そのためには、学習させる内容は基礎的なものに限定されてよく、学習に最も不可欠なのは知的好奇心です。これは家庭でこそやりやすく、またやれる教育です。そしてそれを効果的に確実に高められる方法としておすすめしているのは、家族旅行です。家族で同じものを見聞きし、体験することで子供たちの知的好奇心を触発し、劇的に高めることができるのです。「おもしろい!」と思った瞬間に子供たちは賢くなっています。感動的な実体験によっても、集中的な自学自習によっても子供たちの脳は激しく活性化します。その意味でも、家族旅行も学校の授業も同じ学力形成なのだと思うのです。

――「教養」の蓄積と「課題」の発見・解決を分けて考えたほうがよいということですね。

文科省が唱える「対話的」「主体的」な学びという考え方そのものは間違っていません。ただ、その実現のためには、その前提となる土台、基礎基本の能力を固める部分がまず必要です。そして、すべての学習の出発点となる基礎的な教養というもののインプット、さらに自身の課題を発見しチャレンジしていく場面、それぞれは「賢くなる」という点で共通します。

ただこれらは目標が違うので授業としては異なります。つまり授業は目的に応じて多様であるべきなのです。学習の目標を明確に意識し、それに応じて授業スタイルを考えないといけません。ところが唯一絶対のいい授業があるかのように錯覚され、多くの先生方は一つの教材の中で、基礎基本もやり、通常の教養もやり、そしてさらに課題へのチャレンジも目指しましょうといった風に、ひとつの授業に多くを盛り込もうとしすぎるきらいがあります。これでは無理が生じます。

家庭では、基礎基本を短時間で集中的に学習しうるようなサポートを行い、一方で、子供たちの興味がわき、脳が瞬間的に沸き立つような体験を用意してあげてください。そのためにも親御さんたちもご自身の知的好奇心を触発し、成長しうるようにしてもらうといいでしょう。子供たちにとっても、親御さんたちにとってもそうした知的好奇心を満たす「おもしろい学習」が必要とされているように感じます。

2019年6月11日

学習参考書協会
「教育改革の手引き」実行委員会